『月雲の皇子』『翼ある人々』
『星逢一夜』『金色の砂漠』
『BADDY』『桜嵐記』
数々の名作を残して惜しまれつつ
宝塚を去っていった演出家の上田久美子さん。
彼女の発言に波紋が広がっています。
この件について個人的に思うことを記したいと思います。
上田久美子さんの発言に広がる波紋
「現実問題をスルーして夢の世界に浸る作品を提供することがいいと思えなくなった」
退団後間もない、この発言にも驚かされましたが
今回はそんなもんじゃない。
日本ではスターを見にくるファンに頼る商業的な舞台のほうが発展しやすく、金銭的な貢献がスターの人気のバロメーターになり自分が育てたんだと存在価値を見いだし人間関係の消費の場となっている。それにレジストしたい。朝日新聞引用
人間関係の消費って!!
駄作だと嘆きつつ
スター見たさに遠征する身としては
耳の痛い言葉でもあります。
宝塚において退団公演は
人間関係の消費の仕上げでしょうか。
・どんな作品かも分からないのに事前に何枚もチケットを確保する
・作品内容とは関係なく贔屓が舞台に立っているだけで泣く
・贔屓が歌えば大拍手
・サヨナラショー、白服、入りのセレモニー、パレード、フェアウェル
スターを発掘する新人公演は
人間関係の消費の入り口かも知れません。
宝塚に限らず外部の劇団でも
スターを観に行く傾向が強く
知名度のある人は舞台初出演にして主役なんてよくある話しです。
エンタメ界のそういうあり方に
抵抗したいという気持ちも理解できますし
実際にそれを上田さんがやってのけたら面白いなとも思います。
しかし、興行を支えるスターを育てるのがどれだけ大変か、
客を呼べるスターになるのがどれだけ大変か。
その苦労を知っている
劇団演出家の言葉にしては優しくない
と受け止められても仕方がありませんね。
たとえ上田さんの中に
スター競争で苦しむ子を救いたい
推し活で疲れている人を救いたい
という崇高な思いがあったとしても…です。
多くの人が面白く見られて『推し』が出ていなくて、価格も中ぐらいで、この世界に思いを馳せられる舞台をつくりたい
さて、現実問題として
無名の役者、タイトル、数行のあらすじのみのポスターで、興行は成立するのでしょうか。
もし公演がヒットしたら
そこから新たなスターが生まれるでしょうし
そうなると『人間関係の消費コンテンツ(推し活)』を作ってしまうことになるのでは。
言葉には続きがあります。
上田さんの本音と思いきや!
稚拙な理想と言われるだろうし自分が言ったものがどんなものかまだわからない。でもそんな舞台をやりたい。
自分が言ったものがまだどんなものか分からないのに
上田さんほど賢い人が、これだけ強い言葉でたたみかけた意味はなんでしょうか。
人は寂しくて他者を求め、同じ時間を共有する集団に属したい。推し活ブームもみんな似たようなもの
実のところ、上田さんご本人が寂しかったのかなと。
『星逢一夜』『金色の砂漠』『桜嵐記』
「出演者がポスターでどういう衣装を着ていたらチケットが動くかマーケティングしていた」という発言がありましたが、
ヒット作を生み出した充実感はあれど
計算どおりで満たされず。
本当にやりたいことをやれない虚しさもあり、寂しかったのかなという印象を受けました。
いつか上田さんが理想とする世界が実現し
満たされると良いですね。
しかし個人的にはもう、計算づくの上田作品を純粋な気持ちで観られないだろうな。
そんなことを思いながら上田さん演出オペラのHPを開くと…
ポスターに書かれた言葉を見てビックリ!
『みんな さみしいねん』
ひゃ~っ!!
壮大な宣伝だったのですね。
もちろん理想や信念は本物だとおもいますが
人間関係の消費、推し活、金銭的貢献、存在価値、寂しさ…
宣伝にどんな言葉を選べば話題になるか、さすがよく分かっていらっしゃる。
強い言葉に反応して、みんなが勝手にSNSで発信してくれる。
宣伝効果バツグンですね。
やはり、上田さんのマーケティング力は凄い!!
手のひらで転がされちゃいました。
と、個人の感想を書きましたが
切り抜きの記事なので、上田さんの思いが歪んで受け止められることがあれば気の毒に思います。
なにはともあれ、オペラがご盛会でありますように。